よくある質問
バンド名の由来
とにかく "N" で始めたかったらしい。
「ニコチン中毒」にかけて、「俺達の音を一度聞いたら病みつきになってなかなかやめられない」という意味を込めてつけたそうだ。
メンバーの繋がり
YASUが中心。
YASUとHOWIE ・・・大学の同級生
YASUとNAOKI ・・・高校の同級生。NAOKIはNICOTINEに入ってからドラムを始めた。
YASUとFULL ・・・幼なじみで親戚。FULLは最初はヘルプとして参加していた。
「HOWIE」について
日本人。千葉市稲毛区に生まれる。
英語が達者なのは、幼少期を英語の環境で育ったため。
牧師(アメリカ人とスイス人)の家で過ごしていた。
外国人の友達も多く、普段の生活は英語だった。
最初は英語しか喋れなかったが、イジめられないために日本語を覚えた。
「HOWIE」とは幼少の頃のあだ名。
教会から「HOWARD」という名前をもらって暮らしていて、友達からは愛称で「HOWIE」と呼ばれていた。
教会の歌が音楽的なルーツ。
大学入学前、オレゴン州セーラムというところに留学&在住していた(初ライブがオレゴンだったのはこれが由来)。
大学は 元ELLEGARDEN のvo.細美武士と同じところ(神田外語大)。
ロシアの血筋が混ざっているため、「PROBABLY THE BEST」でロシア語の歌が登場した。
語学が得意だが、算数は苦手。
木更津中央高校で教鞭を執っていたことがある。
歌詞が全て英語の理由
英語で作詞した方がスムーズだから。
作詞する時に最初から英語で書き、わざわざ日本語に訳さず英語のまま歌っている。
それに、日本で活動するだけなら日本語を使えばいいけれども、もともと "WORLD WIDE" で活動する予定だったため英語を使うことが当然だったようだ。
2008年4月発売のカバーアルバム「COVER OF IT ALL - JAPANESE BEST SHITS -」で初の日本語詞に挑戦したが、オリジナル曲ではまだ日本語詞は無い。
「タール」について
ライブで稀に登場するアドリブ的な裏バンド。
NAOKIが歌い、HOWIEがドラムを叩く。
歌詞は唯一「千葉!」のみ。
NAOKIが脱退してからは登場していない。
「QUEEN OF HEARTS」について
NICOTINEのサイドプロジェクトのバンド。曲はカバーのみ。
曲のアレンジ・演奏はNICOTINEが行い、ボーカルはELLIEが務める。
「D.I.Y.」について
「Do It Yourself」の略。「自分たちでやろう」という意味。
NICOTINEは自身でレーベルを設立したり、海外バンドを招聘したり、スタジオを設置したり、まさにD.I.Y.な活躍を見せている。
CDジャケットの絵を書いている人
DVDを買うなら
残念ながら「BREAK INTO YOU」「10th Anniversary Tour」の2本は低音が薄く、「Live! PANDORA TOUR FINAL 060427」はギターが物足りないため、鑑賞していて違和感がある。
買うならその他のDVDがオススメ。
12月4日
地元のライブハウス「千葉LOOK」の誕生日(創立記念日)。
毎年この日は千葉LOOKでライブを行っている。
サッカーの応援歌
京都パープルサンガの応援歌で、NICOTINEの曲が使われることがある。
過去には「BLACK FLYS」「REMEMBER」「ENJOY PUNK ROCK」などの曲が替え歌で使われた。
YASU脱退の経緯
2006年12月24日、公式サイトにて
YASU脱退の発表 があった。
詳しい理由については不明だが、後に発表される曲「OUR LOST $1,000,000」「PUNKER SHOT」の歌詞でその理由が少しだけ書かれており、
さらに、2年後に発売されたアルバム「SOUNDQUAKE」のライナーノーツに「金銭絡みのトラブルを起こしギクシャクしながら脱退」「互いに背を向けてキッパリと別れた」と書かれている。
まとめると、
・「PROBABLY THE BEST」製作中に考えの違いからYASUが失踪 (12月4日のライブにも出演せず)
・バンド(orレーベル)の金を一緒に持って消えた
・今は絶縁状態
ということだろう。
ただ、FULLとは親戚のため、今でも友好的なようだ。
Shunp加入の経緯
YASUが脱退したため、新しいギタリストが必要になった。
何人か(確か8人くらい)に声をかけたが、
「Shunpは元DONUT MANのメンバーで、SKY RECORDSと元々繋がりがあった」
「すでにNICOTINEの楽曲をほぼ完璧にコピーしていた」
などの理由で、すぐにShunpを迎え入れることに決まった。
2007年1月のライブではヘルプとして参加。
2月から正式加入。
公式サイトでの加入発表は3月23日。
NAOKI脱退の経緯
2008年7月26日、公式サイトにて
NAOKI脱退の発表 があった。
詳しい理由はまたしても不明だが、不仲や病気が理由ではないらしい。
YASUの時とは違って友好的に脱退した。
脱退ライブは2008年8月8日の新宿LOFTで、最後の曲は「JIMMY IS MY PUNK ASS BROTHER」。
脱退後もライブに遊びに来たり、相変わらずメンバーとも仲が良い。
2012年から「BROTHER42」というカバーバンドでドラムを叩いている(2014年9月活動終了)。
2014年12月から「loco hermanos」というバンドでドラムを叩いている。2014年より渋谷「CAFE & DINING BAR KOKU」の店長。
Okky加入・脱退、U加入の経緯
2008年9月13日、公式サイトにて
Okky脱退・U加入の発表 があった。
詳しい理由はまたしても不明。どうやら、Okkyは複数の活動をしていて、NICOTINEに専念できないため脱退するしかなかったらしい。
Okkyは1ヵ月という短い加入期間であったが、アルバム「SOUNDQUAKE」を収録し、韓国でテレビ収録1本とライブ1本、日本(神戸)でライブ1本を行った。
Okkyは十年以上前にSKY RECORDSに何かのバンドでレコーディングしにきた人らしい。
ちなみに、脱退・加入発表前の9月7日のライブはUがヘルプとして叩いた。
脱退後もたまにNICOTINEライブでサポートとしてキーボードを弾く。
U脱退・BEAK加入の経緯
2010年9月3日、メールマガジンおよび公式サイトにて
U脱退の発表 があった。
詳しい理由は不明。友好的な脱退。
U脱退後のサポートドラム
・2010-9-12@伊那 : NAOYA (ex.Savior of Sorrow)
・2010-9-19@名古屋 : task-n (from HEY-SMITH)
・2010-9-23@渋谷 : NAOYA
・2010-10-16@千葉 : JACK
・2010-10-18@渋谷 : NAOYA
・2010-10-24@札幌 : がま(?)
・2010-10-25@札幌 : がま(?)
・2010-11-23@川崎 : NAOYA
・2010-12-4@千葉 : BEAK (ex.Before Christ Butterfly)
・2010-12-16@渋谷 : NAOYA
・2010-12-18@伊那 : BEAK
・2010-12-26@名古屋 : BEAK
2011年1月1日、公式サイトにて BEAK(ビーク) がサポートドラムとして活動していくことが発表される。
2011年6月4日、ワンマンライブの中で、BEAKが正式メンバーに加入することが認められる。
脱退後は神奈川県藤沢市のヤマノミュージックサロン辻堂にて、
ドラムの講師 をしている。
機材車盗難
NICOTINEの楽器を全て積んだ機材車が千葉の駐車場で盗難に遭った(2011年3月2日深夜~3日早朝)。
翌日(3月4日)、積んであった機材類のみ、盗難現場近くのコインランドリー内で発見された。
車は依然として行方不明。
公式コメント、機材一覧はこちら。
Shunp脱退
Voll加入
2017年5月14日と5月26日にオーディションを行い、5月29日に正式加入が決定。
公式発表は 6月12日21時、
Twitterにて。
初ライブは 2017年10月1日の渋谷 CHELSEA HOTEL(ワンマン)。
オーディションはもう一名(Texas)が合格しているが、ほとんど表には出ず、
"裏メンバー" という扱いになっている。